四月は君の嘘(3)の感想


四月は君の嘘(3) (月刊マガジンコミックス)

四月は君の嘘(3) (月刊マガジンコミックス)

ストーリーとしては,有馬公生・渡亮太・椿のおのおのが,中学の部活動に全力を費やして最終局面を迎えてゆく場面です。椿と渡は,敗北による終止符を打ち,有馬公生はどうなるのか?といったところで次巻に続くことになっています。次も楽しみに待てる,いい展開でした。私が気になった部分を少し詳しく書きますね。

1,有馬公生とピアノ
「愛しいけど近づけない」「恋しいけど触れられない」というように表現されています。ピアノにトラウマを植え付けられている自分と,ピアノを弾くことが好きでいる(自分の存在意義にピアノが関係している気がしている)自分との葛藤を表現しているのでしょう。トラウマについては,まだまだ勉強したいのに勉強不足でよく解っていないのですが,でも,きつい思い出と直結している物体と自分の存在意義に関連する物体が同一物だと,切り離したいという欲求と切り離せない欲求の葛藤が生じるのだろうな,というのは想像できます。コンプレックスにも似たようなものがあります。コンプレックスは自我を形成する一部分ですから,たとえどんなに嫌なことでもそれを無視して捨てきることができない。だって自分の一部なんですから。仲良くやってゆくしかない。でも嫌いだからコンプレックスと仲良くなんてできない。そんな葛藤です。

有馬公生にとってトラウマだったはずのピアノが,少しずつ変化してきているように見えます。この変化が彼の成長だと見るべきかどうかはまだ分かりません。でも,この変化の流れは見ていて面白いです。恐らく物語の主軸部分なのでしょうかね。



2,有馬公生と椿
星空の下,女の子を背負って歩くシーンです。。私はハチクロの2巻で真山くんが山田さんをおぶって帰るシーンを想起しちゃいました。あ,脇道にそれました。有馬公生が怪我した椿をおぶって帰るシーンは,幼少期の椿が有馬公生をおぶって帰るという伏線の回収です。昔は背負われていたのに,後に立場が逆転する典型例は,母と息子の関係です。椿と有馬公生も似た(あくまでも別物ではある)関係性をもっています。息子のような存在だった彼が別の女性によって自分の手から離れてゆく喪失感を,椿はどのように解釈するんでしょう。恋愛に絡めて解釈するのか,友情に絡めてゆくのか,揺れるところです。面白い部分ですね。



3,君はどうせ君だよ
この言葉のチョイスに私は反応してしまいました。「君は君だよ」「”君らしく”なんて曖昧なものじゃない」という文脈,有馬公生のトラウマのトリガーが発動しているときに宮園かをりが,励まそうとしているシーン,両者を考え合わせても,宮園かをりはイイコトを発言し続けると読んでいたら,君はどうせ君だよと来たもんだから,反応せずにいられません。君でいることを肯定するっていう行為は,その人のありのままの存在の肯定ですから,ものすごく好意的な言葉です。しかし,「どうせ」は諦めを含む否定的な表現です。この文脈では,どうせが目立ちます。自分でいることを肯定する,しかも諦めて消極的に肯定する。「自分が自分でいることは一生懸命にならなくてもできる簡単なことさ,大丈夫,君にはできることだし,既にできている」という程度の意味を意図したのかもしれませんが,ちょっとそうは思えない言葉の重さを私は感じます。宮園かをりは理解不能な部分が多くて魅力的ですが,魅力が増した印象です。うん,面白いですね。



ひとまず,理屈はこれくらいにしておきましょう。
有馬公生と宮園かをりが手と手を合わせるシーンがありますよね。たまらないです。たまらなくいい。青春ってだけでない,もっと柔らかい感じがしてたまらんのです。はふー