声優のトークショーを愉しむとはどういうことか


文化放送 A&Gオールスター2012と,早稲田祭にて佐藤利奈トークショー,ゆかな&井上麻里奈トークショー


立て続けに3つのイベントに行ってみましたよ,ライブではなくトークイベントに参戦です。


私は,いい声が好きなんです,声フェチという表現が適切かもしれません。アニメが好きな理由の1つでもあります。


そうすると,声さえ聴ければいいので,当人を生で見るところにどれほど意味があるのか,イベントなんてラジオで十分なのでは?


なんて疑問が生じるわけです。それなのにイベントに行くのは,アイドルを追っかける現象なのだろうと思います。


そういう愉しみ方もアリです。でも自分は本当にアイドル性を愉しんでいるのだろうか,なんて疑問に思う。


参加後に少し考えてみると,何点かはラジオでは体感できない点がありそうです。


1つは,ライブのときのような一体感ですね。要はお祭り騒ぎなんですけど,これは時間と場所の同時性が不可欠です。


ほかには,ラジオだと放送コードがありますね。トークショーにはそれがありません。カットもない。ここがいい。


一番は,機械を通さないでその声を聞きたい,これです。握手会でアイドルに触れるのがファンにとって至高の悦びというなら


声フェチの私には,その生の声を自分の耳で直接キャッチするというのは同様に嬉しいもんです。


でも,これくらいなんですよね。実は,私はアイドル性に惹かれている部分もあるのだと自覚したわけですが。。。。


さて,で,上記を踏まえるとトークショーでは何を愉しみたいかというと,声を愉しみたいわけです。


アイドル性を重視する人にとっては,たとえばクイズをさせるとか,罰ゲームさせるとかも楽しめるのかもしれない。


素をみたいとして,日常何しているか等の質問コーナー,自己紹介コーナーも楽しめるのかもしれない。


でもそこじゃないだろ,その声を生で聴ける機会を最大限活かせよ,なんて思うわけです。


当然ながら,台詞を言ってもらうコーナーが私は大好きです。地声から役者に切り替わるとこんなに違うのか,と思う。


芯が入るんですね,佐藤利奈さんと井上麻里奈さんは,その切り替えっぷりがハッキリしていました。


芯が入った瞬間の声は,テレビとかから聞こえるあの声。ふんわりとした感触なのに芯がある。役者だなぁいいなぁ。と思う。


逆に捉えれば,トークショー内では地声だったわけだ。こんな音程でこんな声音なんだ,って発見がある。


ただ,ゆかなさんはね,トークショー中ずっと「声優ゆかな」を演じていたように見受けられます。


というかね,ゆかなさんはね,死の覚悟を抱えながら生きている人,だと分かった。


少し話は逸れるが,人は死ぬことを覚悟して生きている人と,ただ生きている人では,その日の充実度が全然違う。


侍はいつも心に白装束なんて銀魂のタイトルにあったけど,白装束がある人が活躍している。なんかの本にも書いてあった。


私は昨年の12月くらいに突如死ぬことを意識せざるを得ない状況に追い込まれた。追い込まれた当時は辛かった。


でも,精神的辛さを乗り越えた後は,適度なプレッシャーとして死が意識に掛かっている。いまを大事に本気になれる感覚がある。


生きていた証としていまを本気に生きて輝きたい,only I can doを成し遂げたいという熱意が伝わった。


そんな意識をゆかなさんは中二のときから持っているらしい。中二病との境は怪しいところだが,たぶん中二病だからではなく


本気で死を意識しているのだと思う。そうでなければ,1週間に十数時間の睡眠で仕事をすることなんてできない。


彼女の仕事に対する本気さは,その辺の社会人とは比べものにならないくらいの覚悟である。すごい,と感心した。


本人は,こんなところで話すべきではないと言っていた。確かに笑える話ではないし,死の覚悟の話に興味がない人には


説教にしか聞こえない。加えて輝きたいなんて言い出したら,気持ち悪がられるだけである。


でも,そういう死の覚悟の話から外れた文脈で捉えるべきコメントではないと思う。


only I can do についても丁度私が仕事をする意義を考えてたときのキーワードだったので共感してしまった。


ゆかなさんの物事へのアプローチも実に面白いと分かった。


機械を触るとき,たとえばその電子回路は,電子回路を作った人の意図があって,その意図に基づいてできている。


その意図を考えながら機械を触れば説明書など無くても機械は操作できるというのである。


まさに,相手の意図を考える,趣旨を考えるという法律家の発想の大事な部分と共通する発想である。


その上で,人が機械に触るときは,どの部分から関わりたいかの違いがあるだけである。


取説使う人は手前で関わる,わたしはもっと奥で関わりたい,みたいな感じでやっていることはいっしょのはずなんだ,と。


うん,やはり面白い発想である。距離の違いであって軸は同じであると捉えるのか。


こんな感じで,ただ声を愉しむだけではなく,オプションとして頭の訓練にもなった。




それにしてもね,生でサトリナにね「早く起きないとキスしちゃうぞ,チュッ」って言わせたのはハンパ無い。


マリーナにね「あんたのことなんて好きじゃないんだからね,大好きなんだからね」って言わせたのもハンパ無い。


ゆかなさんにね「さぁ,私の前に跪きなさい」って言わせたのもハンパ無い。


あー,耳が幸せ。