黒子のバスケの感想(中間)

2012年春アニメ - まんが・アニメ・法解釈における理屈と人情
中間ランキングに入らず

黒子のバスケ 1 [Blu-ray]

黒子のバスケ 1 [Blu-ray]




バスケについては,世代的にどうしてもスラムダンクSLAM DUNK DVDコレクション VOL.1があまりに影響力があったので,まんが・アニメともバスケのジャンルの作品にはどうにも触手が伸びなかった印象があります。黒子のバスケは,惰性で見るという私にとってはよくある消費するだけの作品として見るつもりでいました。




実際に,本作品は,いまのところ,「努力しようぜ!」というスポコン要素もないし,笑いのツボも少し難しくギャグの要素も少ない,という意味でどこに見所を置くか判断に迷う作品です。主人公黒子テツヤやメインのキャラクターとおぼしき火神大我や相田リコ,そして「キセキの世代」のメンバー,いずれも初期設定である種の特殊能力を有しており,その能力がカッコイイという枠にははまっても,ただそれだけの印象なんです。カッコイイ姿を見せるだけの作品なんでしょうか?(きっと,そんなはずはないはずなんだけど。。。。)ストーリーとしても「キセキの世代」を強調しすぎているきらいがあって,その意味で癖があります。思索に走るきっかけが転がっているわけでもなく,寓話性にも欠けるように私は思う。この作品を私のような人間が楽しむには,どうやら工夫が必要なようです。友人は,男の子たちが汗を散らし息を切らしているから好いんだお,という元も子もないことを言っていました。私にはその境地はいまだナゾです(笑)。脱線しました。もしかしたら,原作にはもっと情報量があるのかもしれないけれど,その時間的余裕が私にはないのでアニメから観てとれる範囲で考察せざるを得ません。




そこで,いまは黒子テツヤのバスケの動機を分析して楽しむことにしています。黄瀬涼太くんとの練習試合に際して,黄瀬くんからなぜ無名の高校に行ったか問われたことに対し,「キセキの世代」のプレースタイルに対する不満を口にしていました。チームの強さはこの強さに比例する,ゆえに個が強くなければならないという「キセキの世代」のスタイル。黒子くんはこのスタイルが不満だそうです。私からすれば,個の強さもチームとしての結束力もどちらも重要という当たり前の価値観をもっています。どちらを優先するかは,そのチームが何をするためのチームか,によると考えています。スポーツに関していえば,チームとしての結束力の方が一応は優先するんでしょうね。一緒に試合をして楽しいのはチームの結束力だし,属人的でない結束力のような強さこそがチームの伝統を形作っていくからです。このような恐らく当たり前の答えに対して,黒子くんはどんな答えを持ち出してくるのでしょう?この作品は何を学ばせてくれるのでしょう?この辺に対する期待を胸に,どこかに伏線が落ちていないか注意して観ることにしています。そこに,面白い発見があれば,最終結果のランキングに変動をもたらすかもしれませんね。